新プロフィール

おじいちゃんと過ごした夏が大好きだった。

 

夢降る隠れ処へおかえりなさい。
ここで若旦那をやってます、探検家タガメのリョウです。

 

魅力最下位でド田舎と言われている茨城県に住んでいます。

 

でもね、僕はこの田舎が大好きなんです。
カエルも鳴くし、星も多いし、ポンコツも伸び伸びできるから。

 

大好きな事は魚釣り、山菜採り、漫画、タガメ、筋トレ、まぁ色々な探検です!

 

海にはスズキ君やヒラメ君を釣りに行ったり。
山には山菜を採りに行ったり、オオクワガタを探したり。

 

地元で絶滅危惧種の水生昆虫タガメを探しながら・・・
春・夏・秋・冬、年間を通して、毎日が子供の頃の夏休みのようなワクワクした気持ちで生活をしています。

 

おそらくあなたも、会社漬けの毎日だけれども・・・
「自分が好きな事を仕事したい」という想いで、この暗黒社会で生きている事と思います。

 

それでも、夏休みは僕たちのなかにずっとあるんですよ。
ちょっとずつでも好きな事を思い出したり、はじめてみたりして、やらかすことがあっても仕事になって夢も巡って来るもんです。

 

この夢降る隠れ処では、あなたが子供の頃に無我夢中に遊び回っていた夏休みの頃のように。
童心に返って好きな事を仕事にして夢が巡り巡っていく探検記をお届けしています。

 

とはいえ、ほとんどは僕のポンコツやらかしエピソードばかりかもしれません。
ついついバカ笑いしちまってはやらかしながら、なんだかんだで夢が叶ってきて面白いったらもう。

 

・・・なんて今では自分に素直になって言えるのですが、普通に仕事して生きていけない、自己否定ばかりの闇人間でした。

 

そんな僕が、なぜ、よくわからないないうちに、好きな仕事も夢も、大切な仲間たちも巡って来てくれたのか。

 

そういった話をしていこうと思います。

 

あの夏はおじいちゃんがくれた夏

僕が茨城の大自然を好きになったのは、おじいちゃんのおかげでした。

 

僕は口下手で人付き合いが苦手だったので、昔から友達が少ない方で。
友達と遊ぶよりも、祖父と一緒に自然を探検して遊ぶ事が多かったです。

 

祖父の家は兼業農家で、畑や田んぼ、森に囲まれた場所でひっそりと暮らしていて。

 

毎年夏休みになると、必ず遊びへ行ってました。

 

子供の頃の僕に、手作りでブランコを作ってくれたり。
畑で甘くて美味しいスイカを作って、届けてくれたり。

 

「タガメを探したい!!!」って言ったら、一緒に田んぼを探し回ってくれたり。

 

「オオクワガタを見つけたい!!!」って言ったら、森の中を探してくれたり。

 

こうやって自然の中を祖父と一緒に楽しんで。
祖父を通じて、自然の楽しさを知りました。

 

「カブトムシがたくさんいるよ」

 

「川でドジョウとナマズを採ってきたよ」

 

「ほら、美味しいスイカができたから一緒に食べよう」

 

「今後はタガメが見つかると良いね」

 

たくさんの「自然の楽しさ」を祖父が届けてくれて・・・
そのおかげで、今も僕は自然を楽しむ事ができます。

 

僕の探検したい気持ちや好奇心は、子供の頃におじいちゃんと自然を探検したからだと思っていて。

 

おじいちゃんは僕がする事の全てをひとまず受け入れて。
それからその良し悪しを伝えてくれました。

 

また、自然の楽しさだけじゃなくて、僕の人生の中でもおじいちゃんはいつも優しく接してくれました。

 

専門学校を卒業して正社員にならずにアルバイトを始めた時、両親には物凄く反対されましたがおじいちゃんはいつもと変わらず優しく話してくれました。

 

でもそんな僕もついに、正社員になる事ができました。

 

正社員になった姿を見せて喜んでもらいたかったのですが、正社員になった時にはおじいちゃんは亡くなってしまっていました・・・

 

ところが正社員になった生活は・・・

正社員で選んだ仕事は、お金の流れ、経営者の事を学びたかったので、ワクワクしながら経理の仕事に就きました。

 

ところが、口下手で周りと話せなくて連携が取れず。
みんなのように仕事ができなくて、仕事を1人で抱えこんでしまって残業する日々でした。

 

でも残業しても「いつまで仕事をやっているんだ」と怒られたり。

 

「経理なんだから、給料をもっと上げろよ」
「お前らだけもらいやがって」

という言葉を受けても、上手く説明できずに陰口を言われてしまったり。

 

まるで、たった1人で、真っ暗闇で先が見えない迷路の中にいるようでした。

 

僕だって本当は、みんなと会話して仕事していきたいのに。
上手く話す事が出来ずに、そういった劣等感を強く感じてうつ病になっていました。

 

そういったうつ病で無力で実力がない自分が受け入れられなくて、「僕は、本当はもっとできるんだ」って感じて。

 

急に胸が締めつけられるようになって、過呼吸になって涙が止まらずにその場にうずくまっていた事もありました。

 

そんな僕を会社の人たちは冷たい目で見ていました。

 

本当はもっともっと必要とされたいのに・・・

 

もうポンコツな自分が許せなくて。

 

・・・いや、今思えばその頃から十分ポンコツだったのですが。

 

でも当時の僕は、それを絶対に認めたくなかったんです。

 

悔しくて動悸と涙が止まらずに、もう会社で働くのは無理だと感じました。

 

何とかして自分を変えたい、そうじゃないと生きていけない・・・

 

自分には魅力がないと思っていた、勉強もスポーツもダメ。

 

仕事も、好きな事をして生きようとはじめたブログも、何をやっても中途半端。

 

なにかを褒められても、どこか居心地が悪くて素直に受け入れられない。

 

もっともっともっと自分を肯定してあげないと生きていけない。
自己否定ばかりでなんにも生まれないじゃないか。

 

あぁ・・・

 

いつの間にこんな大人になっちまったのかなぁ。

 

子供の頃はさ、純粋に好きなことを楽しんでいてさ、なんでもできるスーパーマンになったかのように毎日が無我夢中だったじゃないか。

 

でも、大人になるとさ、それは叶わない夢だったんだなぁって絶望しちまうよ。

 

こんなポンコツな自分に、人生を楽しめるのだろうか。

 

自己肯定感を上げなきゃ、という呪い

僕はどうにかして自分を正当化しないと、この世界では生きていけないんじゃないかと思い込んで・・・
ずっと自己肯定感を上げる方法を探してました。

 

それで、自己肯定感が高そうな人の真似をしようと、見た目から変えてみることにしてですね。

 

お洒落な人の真似をすれば、雰囲気もお洒落になれて人生も上向くと思い同じ服を買ってみてね。

 

でも似合わな過ぎて落ち込んだ。

 

鏡を見ることさえ恥ずかしかった。
こんなのは僕じゃない。

 

あぁ~、また自己否定か。
肯定するどころか否定してるじゃん。

 

もうどんどん自己否定しては落ち込むことを繰り返してましたね。

 

そうしていたら・・・

 

正しい・間違ってるでしか見られなくなっていた

気づかないうちに、世の中のことをそんな目で見るようになり・・・

 

なんかこう白なら白、黒なら黒、という価値観が育ってた。

 

正解か間違いか、白黒はっきりしないとダメなんだという思い込み。

 

それは自分自身についてもそうで、他人にもそうでした。

 

仕事で間違えたことがあると、間違えた人が悪いんだ、と。
そこに自分も他人も関係なく、気持ちを感じることもなく目の前の結果だけで判断する。

 

そんなもんだから、褒め言葉をいただくことがあっても全否定してました。

 

バスケの監督に良い動きだと褒められても、どうせ嘘っぱちで一時的に調子に乗せたいだけなんでしょ・・・、とか。

 

本当はまごころ込めて期待してくれていたのに、それがプレッシャーにしか感じられなくて。
申し訳ないことを思っていたな。

 

社会に出て会社で仕事するようになっても、笑顔が素敵とか、仕事が早いとか、褒めてくださっても素直に受け取ることができなくて。

 

いやいやいや、そうやって褒めてくれるけどさ、もっと僕よりも凄い人がいっぱいいてお役に立って結果も出してるじゃんか。
どうせ気休めなんでしょ。
(ごめんなさい、本当はすごく嬉しいのに・・・)

 

こんな風に受け取ってしまい、人間関係を崩して精神的にも疲れ果てて、会社を辞めては転職することを繰り返してました。

 

普通に生きていけない、自己否定ばかり、仕事や好きなことでも人間関係に悩むばかり。

 

こんなんでいいのか人生・・・

 

迷いに迷った迷路の果てに辿り着いたのは・・・

 

未来型の世界は、優しくて静かだった

未来型という変な人たちしかいない温かい居場所なんです。
(変人集団、という言霊がピッタリなんですよ)

 

変人師匠のコアラ仙人は、自分の師匠は聖徳太子だといって、カオスでよくわからないけど面白いアドバイスを連発してくる。

 

コアラと仙人が合わさったような見た目は、まさしく変人の極みで、どこか好きになっていた。

 

空飛ぶ小説家なカエル先生は編集者で、大切な言霊を思い出させてくれる、弱っちくて力強い優しい声かけをしてくれる。

 

のほほんと可愛らしいカエルのようで、そこには確かな芯を感じられて惹き込まれる。

 

ポンコツ仲間たちも、普通に生きていけなくて、自己否定ばかりの人生なのだとか。

 

ビックリ仰天したのは、未来型では「肯定しない」という考えがあったこと。

 

みんな自分のことを肯定するどころか、自己否定する一面もあったのです。

 

でも、そんな闇で真っ黒だと思われるような一面も、魅力となって光り輝いていた。

 

あぁ、無理に自己肯定しなくていいんだな、自己否定してもいいんだな。
それが僕らしい生き方なのかもしれないな。

 

ふわっと背中を押されて・・・

 

自己肯定しなかったら、眠って夢が叶っていた

もう無理に自分を肯定するとかしないで、自己否定してもいいからさ。
そういう自分も常にいるんだから、そこを封印しなくていいからさ。

 

ふわっとのほほんと生きてみようかなぁとう感覚で仕事も好きな事もやってみたら、ふと気づいたら夢降る隠れ処の若旦那になってました。

 

 

そんな夢降る隠れ処を、変人師匠とポンコツ仲間たちが訪れ交流会をしていた時のこと・・・

 

なんだか、とっても優しい気持ちが溢れていたんです。

 

自己否定する自分もいるんだけど、無理に元気を出さなかったし、無理に役に立とうとしなかった。

 

ただ僕は若旦那としてそこにいただけ。
みんなの好きな事や夢を語り合うひと時が、ただただ愛おしいからね。
(本当にのらりくらりといただけ)

 

そして、みんなが夢を語っているそのなかで。
僕は気づいたら爆睡していたのです。
(リラックスして気持ち良く寝ていたそうです笑)

 

・・・主役どこいった。

 

でもね、不思議なんですよ。

 

そんな僕の姿を見ていた仲間たちの夢が、なぜか深まっていったのです。

 

意味がわからない。

 

でも、温かい。

 

・・・なんだこの奇跡は。

 

今でもよくわからないのですが、とっても嬉しいのです。

 

自己否定から巡る夢もある

そうしているとね、不思議と自分の夢も深まっていたんです。

 

この夢降る隠れ処を、僕の命が終わったとしても、未来型のみんなのために受け継いでいこう。

 

ここに来ればさ、自己否定も自己肯定も、そうする自分がほぐれていくからね。

 

みんなとこの居場所を作り上げていけば、どんな自分も愛していけるようになって、好きな事や夢が温かく深まっていく未来が巡ってきてくれる。

 

自己否定してもいい、無理に肯定しなくてもいい、ポンコツのままでいい。

 

だって僕もポンコツのまま寝ちゃっていたら仲間たちの夢が叶っていったのだから間違いないぞ。
(変なこと言ってるようで真面目かも)

 

ポンコツで眠ったままでも、好きな事をして生きていけば、かけがえのない師匠と仲間たちがいれば、夢が巡ってくるもんだ。

 

そんな自己肯定しようとしなかったひと時に。
なぜか、夢は1歩進んでいました。

 

あなたの夢も、ありのままなあなたと共に深まっていくひと時が巡ってきますように。

 

 

いつでも夢降る隠れ処で眠っちまったりバカ笑いしながらお待ちしています。

 

だから今日も僕は・・・

 

自己否定してもいい。
ポンコツのままでいい。
寝ちまっても夢は巡る。

 

そんな世界を、ここで守り続けます。

 

もし僕が縁側で寝ていたら、そっと毛布をかけてください。

 

いや、起こさなくても大丈夫かもしれません。

 

どうせ夢は、ちゃんと巡っているので。

 

夢降る隠れ処の若旦那・探検家タガメのリョウより