大切で愛しい人の死から直感した愛情を繋いで生きるということ

どうも、探検家リョウです。

 

この記事を書いている今は、ちょっとまだ気持ちの整理ができていません。

 

それでも、この記事は今しか書けない、届けられない。
そう感じたので、思い切って行動しました。

 

 

いつも笑顔な大切な人が亡くなってしまった

この記事を書いている今日の出来事でした・・・

 

入院していたおばあちゃんが、亡くなりました。

 

おばあちゃんは認知症で寝たきりの状態で、意思の疎通がとれません。
僕が誰なのかも分からない状態で。

 

食べることもできてなくて、大好きなさつまいもとかを味わうこともできない。

 

それでも、いつも笑顔だったのです。
看護師さんも「おばあちゃんは、いつも笑顔でねぇ」と言ってました。

 

なんで、なんでいつもこうなの。
大切な人が亡くなる時、なんで何もできないの。

 

なんで、傍にいられなかったのか。
すぐ近くに住んでいたのに・・・

 

最後におばあちゃんに逢ったのは6月で、逢う事ができたのに。

 

今の僕に何ができる??
何を届けられる??

 

とても悲しいし、辛いよ。
何で泣いているのか分からないくらいに。

 

今すぐに現実を全て受け止めることはできない、受け入れたくない気持ちも逃げたい気持ちもある。

 

いつだって嫌だよ、「命」が終わる時っていうのは。

 

大好きな人・大切な人には、ずっと幸せに生きてほしいよ。
それが叶わない事も知ってるけど、そうなってほしい。

 

「死」を受け入れて、生きていくってどういう事なのか??

 

それを僕なりにお届けするとしたら、書いていくとしたら・・・

 

天国へ行った大切な人から受け取った愛情を繋げる

おばあちゃんは、最後まで一生懸命に生きました。

 

好きな物も、何も食べることができない状態は辛いよね。
辛いことの連続だったよね。

 

それでも、認知症でもずっと「笑顔」でいたんだよね。
どんな人にも笑顔で・・・

 

そうか、おばあちゃんが残してくれた大切なモノは「笑顔」という愛情じゃないか。

 

なら僕は笑顔という名前の愛情を受け継いで、届けていけるじゃないか。
今は泣いてばかりだけど。

 

託してくれた、大切な家と小屋は守っていくからね。

 

この田舎で、よく遊んだなぁ・・・
おばあちゃんはおじいちゃんと一緒に、美味しいスイカや乾燥芋を持ってきてくれたりね。

 

いつも優しい笑顔で包み込んでくれたのを鮮明に思い出せます。

 

だから、繋いでいく。
大切な人の分まで生きるって、きっとそういうことだ。

 

おばあちゃん、天国で美味しい物をいっぱい食べて見守っていてね

まだ僕は、そっちに行くわけにはいかない。
こうやってブログを書くことでしか、大切な人へ届けられない。

 

でも、おばあちゃんがいる天国にはおじいちゃんもいるから、2人で仲良く暮らしていると信じてます。

 

2人で畑を耕して、大好きなさつまいもやスイカを作ったりしてるのかな??

 

病院だと何も食べられなかったから、天国で美味しい物をいっぱい食べて幸せに生きてね。

 

・・・なんて書いてみましたが、立ち直ったわけじゃないです。
悲しいけど辛いけど、今しか書けない。

 

ありのままに書くのがブログ、それを届けるのが探検家リョウだから。
どんな感情も大切に書いていく、そこから逃げるわけにはいかないんです。

 

でも、やっぱり辛いなぁ。
時間が解決してくれるっていわれるけど、この辛さもまた1つの大切な経験なんでしょうね。

 

嫌だけど受け入れたくないけど、どれだけ泣いても大切な愛情を繋いでいく。

 

これから先、辛いことも苦しいことも、楽しいことも幸せなことも、いっぱい待ってるんだ。
僕はこっちで美味しい物をいっぱい食べて、おばあちゃんの分まで生き抜くさ。

 

ごめんね、傍にいられなくて。
おばあちゃんの笑顔(愛情)は大切に僕の魂に残ってるから、また天国で逢おうね。

 

最後まで一生懸命に笑顔でいてくれて、本当にありがとうね。
おばあちゃんは「死んだ」んじゃない、「生きた」んだよ。

 

生きられなくなった人がいる中で、僕たちは生きている。
そう感じると、人に優しくなれるのが僕たちでもあります。

 

あなたもまた、大切な人と一緒にいてあげてくださいね。
その時間はちょっとずつ愛おしく愛おしく、かけがえのない時間に変わっていきます。

 

探検家リョウより